こんぴゅーた
いつも思ってること。
なんか変なことが起きたら、それはユーザーじゃなくてコンピュータが悪い
なんか思った通りに動かないとか、ちょっとめんどくさいとか、意味わかんないとか、そういう風に思うことがあったら、それは5割方コンピュータが悪いです。そのプログラムが悪いです。そのWebページが悪いです。5割と言えば、もう四捨五入すれば10割なので、まず絶対に自分は悪くないと思ってそれで正しいです。後でなんでそういうことになってるのか理解できたとしても、説明できてなかったコンピュータが悪いのです。
なんか思った通りに動かないとか、それは機能の名前か文脈が悪いのです。なんか説明がちょっと書いてあったけど最初は見落したのに後で気付いたとか、そういうのは目立つようにできなかった開発者が悪いのです。
例外はもちろんあって、高度にプロフェッショナル向けなソフトウェアは、良く訓練されたユーザーが使用するのが普通なので、一見さんには難しい面があってもしょうがないのは理解します。Emacsとか。プログラミング言語とか。LaTeXとか。でも、こいつらも、もうちょっとなんとかならんのかとは常に思います。
あとはなんか楽しいことを提供するソフトウェアもしょうがないと思う。なにが楽しいのかわからんプログラムも世の中にはありますが、それはまあ、私のせいだ。しょうがない。
魔法が使えたらどうなるか考える
例えば、引っ越そうかなーとか思ったら、ホームズとかにアクセスして、それでなんか良くわかんないけどかっこいいことがおきて、すぐにあなたが住むべき部屋はここです!、なんて教えてくれるのが一番良いのです。なんかレジ使ってたら、そのうちなんかかっこいいことがおきて、この商品は売れてないのでもう売らない方が良いですよ、なんて教えてくれるのが一番良いと思います。プログラミング言語だったら、エディタ開いた瞬間に、一文字も入力しなくてもすでにプログラムが書けてるとか。
もろもろの理由でそういうのは無理なので、普通はこちらからなんんかのアクションは必要なのですが、でも魔法みたいなことができたらどうなるべきなのか、常に考えています。
選択を迫らない
私が特に嫌いなのは、良くわからない選択肢です。少なくともデフォルトを設けて、とりあえず先に進んで考えられるようにするべき。
似たようなもので、「設定画面を設けてどっちか選べるようにすれば良いじゃん」とか、最悪だと思います。どっちでも良いんだったら、どちらかにするべきで選択肢はいらない。明確に目的が違うのであれば、オプションなんて温いものにせずに、明らかに別々の機能として提供すべきです。
一貫性は重要ではないことがある
上の三つはだいたい自然に考えられる。でも、これには本当に注意してる。
一貫性で嬉しいのは、なにが起きるのか1パターン覚えれば、それで通せることです。そして、なによりも美しい。
でもショートカットが必要なことは往々にしてあります。「それは美しくないね」と思ったときは、いつも注意してる。それが良くある使い方なら、美しさよりも、そっちが重要。
まとめ
こういうことを考えながらプログラムを作っています。そういうわけで、弊社の製品はとても使いやすいって評判で、なんかもうバカ売れになってる……はずだったんですけどね。