なぜHaskellは盛り上がり、OCamlは盛り下がるのか

http://www15.ocn.ne.jp/~rodinia/Blog/MyJournal40.html#p8

変すぎて相手にされないのではなく、普通すぎて相手にされないというのは、悲しいような、別にいいような。

Haskellは変すぎるので、それで何かを書くだけですごく見えるが、OCamlはわりと普通の言語なので、驚かれない。

私も、研究室でみんな使ってるからOCamlを使うようになっただけで、それが無かったらML使おうなんて思いもしなかったと思います。

どうやったら盛り上がるのか。

例えば、かっこいいアプリケーションを書く(Monadiusの戦略)。ただ、Gradiusとか書いても、OCamlの場合は多分話題にならないので、アプリケーションそのものとしてもなんかすごそうな*1ものを選ばなくてはいけない。そういうのに興味を持ってる人は、OCamlなんて使わない。(だって、JavaC#C++使ったほうが効率が良いから)

あるいは開発者の琴線にふれそうなかっこいいフレームワークを作るとか(Railsの戦略)。適切にうけそうなアプリケーションを探すのが難しい。とりあえずRSSアグリゲータとか書いてもらえれば勝ちか(勝ち?)。

なんかもう勝負を避けることにして、OCamlになんか大きな付加価値を与えるとか。ちがう、OCamlたんとか描くんじゃない。つまり「女性のOCamlプログラマには美人が多い」と言わせれば勝ち。もうむりやり「ミスOCaml」とか決めても良いかもしれない。日本中探せば10人くらいノミネートできますかね?将来的にミスHaskellも決めてもらって、ミス関数型言語OCamlから出れば、完璧にHaskellに勝てる。気がする。

とかどうでもいいことを考えてみました。一番言いたかったのは、直前の段落。

あー一つだけOCamlの状況で異常だと思うのは、処理系が1つしかないことです。新しいHaskell処理系の話はたまに聞きますが、実践向けのOCaml処理系の話ってありませんよね。これはどういうことなのか。

*1:cf.難しそうな